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ブログを見にきていただいてありがとうございます。
お元気でお過ごしでしょうか。
私の日常は午前7時頃におきて、ワンコの散歩をして、必要なときは朝食後にすぐ出勤し午前8時30分には机の前にいます。週に一回は泊まり込み。休みは週一回あるかないか。思い切って早めに帰るときはありますが、10時頃が普通という生活です。
ブログは、そういう日常から全く切り離した世界となっています。最も身近な同僚さえ知らないというのがある意味快感となっています。仕事の密度が濃くなってくると、半年近くブログがストップします。4月には21日間のうち17日間は、仕事場で泊まり込むことになってしまいました。おかげで、仕事の頭は満タン、ブログ頭は真っ白状態。初期化されてしまいました。日常を書き散らしている分には、構いませんが、戦争の傷跡を追求する作業を再開するのは、大変です。
ごくまれにブログで展開していることを話す機会をいただきます。自分からつくる場合もありますが、この作業を知っている人に頼まれる場合もあります。それまでの探求をまとめるいい機会になり、あらたな問題意識と興味をもって、ブログをつづけようということになります。
私はロシア史を専攻しました。けれども、学生の勉学は初歩的であり、実際のスキルは身につかないままでした。その初心者がやっている作業ですから、ときどき意味を感じなくなったり、このぐらいでやめようかなという気分になるときがあります。不思議なことに、そういうタイミングで励ましや問い合わせのメールをいただきます。意味のある作業だと思い直して、つづけてきました。
あちこち見て回って集めたものを、メモのように書きなぐり、突然、思いついてまとめる・・・そんな風な4年間でした。これからも、そういうことになります。ブログは短いエントリーを脈絡なく書いていくのは適していますが、まとめようとすれば、探すのが大変です。あまり先を考えずに、カテゴリーをつくっていたら、100項目の制限にぶつかって、あわてて整理しはじめるなんてこともありました。
いっそのことサイトをつくろうかと思いました。しかし、最初に書いたような日常では、とても無理です。現職の時代は数年では終わらないと思います。それはその先にとっておく楽しみです(突然、つくるかも知れませんが)。
『「1名の将兵と14名の下士官、そして206名の兵卒」の日清戦争』−−気負ったタイトルをつけたエントリーを並べています。それは、一方で、遺族の方の参考になればいいと願ってのことですが、他方は、そういうまとめをどこかで(比較的余力のあるときに)しておかないと、なにをしていたのかがわからなくなってしまうからです。
そんなこんなで、コメントや情報提供、ご意見など楽しみにお待ちします。くれぐれもお体は大切に。私のように階段から落ちるなんてことになりませんように。
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