「陸軍少尉・朽木雄六温嘉墓」の印象と碑文
2013-09-03


禺画像]
私がYさんの案内で、この墓碑を見たのは、2012年6月のことです。廃寺跡は林の中。それでも、遺跡保存のための努力が払われているそうです。木立のなかに、石垣に囲まれた空き地が続いています。

 朽木雄六の墓碑は、入口にあたる場所に、置かれていました。
 それは、これ見よがしに巨大につくられたものではなく、むしろ小ぶりの墓碑でした。

 これまで高島市で見た西南戦争の墓碑はどれも似た形をしていました。京都の霊山護国神社にならぶ幕末の志士の墓碑とよく似ています。それは、兵卒の墓碑だったからかも知れません。
 朽木雄六は階級では「陸軍少尉」。将校です。兵卒の墓碑と将校の墓碑の違いは、どこにあるのかが気になります。
 大きさではなく、石材が高価なものであること、そして兵卒の墓碑にはない、碑文が刻まれていました。

 碑文は写真にあるとおりです。
 「鹿児島賊徒」という表現は、旧真田山陸軍墓地などの墓碑では見ましたが、「西郷隆盛」という名前を見たのは、はじめてでした。あと、戦死の記述。二十四歳という若さでの死。
[高島市(旧高島郡)]
[西南戦争]
[民間墓地の戦没者]

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