エフトシェンコの詩 : Бабий Яр
2007-07-08


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エフトシェンコときいてすぐピンとくる人は少ないでしょう。
ソ連時代の詩人、雪解け時代に名をはせた人です。
「バビ・ヤール」は、1961年11月19日に「文学新聞」に
発表された詩です。ユダヤ人虐殺を扱っているだけに、
スターリン時代の反ユダヤ人政策を考えると、決して
穏やかな主題ではありませんでした。
これを読み、ショスタコーヴィッチが交響曲を作曲しはじめます。
その年の4月にスコアができていますから、かなり早い仕上がりです。
元の詩は、以下のとおりです。

Бабий Яр
 バビ・ヤール

Над Бабьим Яром памятников нет.
 「バビ・ヤール」には、記念碑は存在しない。
Крутой обрыв, как грубое надгробье.
 切り立った崖が、粗末な墓標のように存在するだけである。
Мне страшно.
私は恐ろしい
Мне сегодня столько лет,
как самому еврейскому народу.
私は、今日は、ユダヤ民族そのものように年老いている。

ここまでが、ショスタコーヴィッチの交響曲では、合唱が歌います。
次は、バスがソロで。

Мне кажется сейчас 〓 я иудей.
私には、自分がいまやユダヤ人であるように思える。
Вот я бреду по древнему Египту.
ほら、私は、古代のエジプトをさまようのだ。
А вот я, на кресте распятый, гибну,
ほら、私は十字架に釘づけされて死ぬのだ。
и до сих пор на мне 〓 следы гвоздей.
そして、いまにいたるまで、私には釘の跡が残っている。

実は、このソロの部分が書き換えるようにソ連当局から求められたのです。
エフトシェンコは書き直して、つぎのようにしました。

Я тут стою, как будто у криницы,
дающей веру в наше братство мне.
われわれの友情を私に信じさせるような、そんな泉に私は立っている。
Здесь русские лежат и украинцы,
лежат с евреями в одной земле.
ここには、ロシア人たち、ウクライナ人たちが横たわっている。
ユダヤ人と同じ大地に横たわっている

以下の部分にも、もう一箇所改定があります。

したがって、「バビ・ヤール」の歌詞には、二つの版が存在するわけです。
初演をしたのは、キリル・コンドラシン。1962年12月18日のことです。
演奏は、モスクワ・フィル。バス独唱は、グロマツキー。
このときは、オリジナルを用いています。
改定は、この初演のあとで求められたのです。
ユダヤ色を薄めて、ロシア人を賛美するような歌詞にかえられています。
コンドラシンが演奏する「バビ・ヤール」には、数種類の録音がありますが、
改訂版を使っているものも(おそらくやむをえず)ありますが、
1980年12月にミュンヘンで録音されたCD(2006年に出版)では、初版が使われています。
いまや圧力を加えるソ連体制は存在しません。
オリジナルを用いるのになんの躊躇も必要ありません。
全音楽譜出版から出ている「バビ・ヤール」のスコアは、オリジナルに言及はしていますが、改定された歌詞を用いています。

Мне кажется, что Дрейфус 〓 это я.
Мещанство 〓 мой доносчик и судья.

Я за решеткой.
Я попал в кольцо.
Затравленный,
оплеванный,
оболганный.
И дамочки с брюссельскими оборками,
визжа, зонтами тычут мне в лицо.
Мне кажется 〓
я мальчик в Белостоке.
Кровь льется, растекаясь по полам.
Бесчинствуют вожди трактирной стойки
и пахнут водкой с луком пополам.
Я, сапогом отброшенный, бессилен.

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