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●訂正すべきことがあります。
明治三十七八年戦死者の碑は4階級・4柱でした
この大津陸軍墓地は、歩兵第九連隊のものです。
先日、日露戦争の戦没者の碑に、将校、下士官、兵隊の三つの区別があることに憤っていました。
建立されたのが、明治39年のことですから、今とは通念がちがいます。ですから、今の出来事のように怒っていたのは、少し違うかなと思い直しました。
ですが、再び今日行ってみて、もう一柱あることを知りました。
先日は、この陸軍墓地が丘陵地に建てられているので、段々畑のように下段と上段に分かれているといいました。
その上段には、上級将校のお墓。
下段には、下士官と兵隊のお墓。
日露戦争についていえば、
「明治三十七八年戦没○○戦病死者合葬碑」が共通の碑文で、
○○が違うのです。
上段にあったのは、「将校同相当」
[URL]
下段にあったのは、「准将校」
[URL]
「下士」
[URL]
下段の多数立っている墓碑のスペースの一番すみに、あったのは、○○の部分がつぎのようになっている碑でした。
「兵卒」(上の写真)
つまり、四階級にわけられているのです。
その階級区分の厳しさにあらためて認識を新たにしました。
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