「第103号哨戒艇」 Nさんの戦争体験から
2009-06-11


火曜日のことでした。
戦争体験を語ってくれたNさんが、
ふたたび事務所を訪れました。

「今度の木曜日いるか?」
「ええ、います」
「じゃあ、書いたものもってくるわ」

私がNさんの戦争体験に関心をもったので、
その記録の一部を見せるというのです。

「じゃあ」と出かけるところを引きとめ、
指の写真を撮らせてもらいました。
それがあとから追加した写真です。

木曜日といえば、明日(11日)の朝のこと。
(実際は、もう「今日」ですけれど)
聞き漏らさないように、前のお話のメモを
見直すことにしました。

ひっかかったことは、乗っていた船のこと。
よく知られたもののように、名前をいいました。
「第103号哨戒艇」・・・・量産された哨戒艇の一つ?
気になったのは沈没の日付。
やけに正確でした。「1945年1月12日」。
理由は、個人生活にかかわる記念日だ
そうですけれど。

ネットで調べて驚きました。
ちゃんと載っているのです。
しかも、この船は、同型艦が一つもないのです。
それもそのはずです。
アメリカの船。AM9 FINCH。
哨戒艇(AUXILIARIES-MINE SWEEPERS.)です。
しかも、沈没したあと、改造したものでした。

AM9 FINCHが製造されたのは、1918年9月10日。
日本軍の攻撃を受けて沈没したのが、1942年4月11日。
マニラ沖ジャビデ港でのこと。
5月に浮揚?日本海軍第103工作部が修理。
1943年4月1日に第三南遣艦隊に編入。
このときに、「哨戒艇第103号」と改名。
詳しくは、ココをクリック。

ちなみに、戦利艦の哨戒艇は、101号から
109号まであったのです。
そういう経歴の船に、Nさんは配備されたのですね。

その後のことですが、Nさんの話のとおり、
1945年1月12日に、ベトナム南部の
ファンリ沖で、アメリカ海軍空母艦載機の
空襲により撃沈されたとあります。

排水量は、980トン
全長は、56.2メートル。
全幅は、10.08メートル。
乗員は70名。
装備は、8cm単装高角砲2基と爆雷48発

Nさんは、空襲をうけたとき、船倉の
弾薬をはこびに降りたといっていました。
それは、この高角砲の砲弾だったのです。

船の写真があれば、もっと思い出して
もらえるのでしょうけれど。
[戦争と平和]

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